陶器の歴史 | 陶器とインテリア

HOME -- 陶器の歴史

■陶器の歴史

日本での陶器の歩みとはどのようなものだったのでしょうか?

まず、縄文時代には、世界四大文明発祥地からでなく、九州佐世保市の泉福寺の洞穴から最古の土器が出土しています。
炭素14年代測定法で約一万八百年前と測定され、縄文式土器は土器発祥以来を縄文時代といわれていますから、縄文時代は一万年以上も続き、紀元前三百年まで続いたこととなります。

次に弥生時代です。
縄文式土器と弥生式土器は技術的には変わってないといわれています。大きな違いは形と作風が変わっています。つまり左右均等のとれた統一感の造形です。

平安時代ですが、歴史的に見ると日本の陶磁器に関する技術は中国に対し2000年、朝鮮に対し1000年の遅れがありましたが、高火度の釉薬がかかった焼き物は最古の物で平安時代からなんです。
日本は中国、朝鮮の二国の影響を大きく受けて発達したものの、そのまま写したのではなく、日本独自の作風の道を進んできました。
備前焼は、わが国の六古窯の中でも最も古い焼き物で、平安末期ごろから始まり備前焼の特徴が生まれます。

室町時代には、信楽・南蛮などの焼き物と共に、一躍世間で脚光を浴びるようになりました。
そして歴史の 中で戦国時代には焼き物に目を向けている余裕はなく、戦国時代の物は荒さが感じられます。ゆとりをもって作る余裕もなかったのではないでしょうか。

桃山時代になり、世の中も落ち着き芸術が開花しました。
武将として信長、秀吉、茶人として利休、織部、画家に狩野派、その他僧侶や文人、 歌人が活躍した時代に数多くの焼き物が作られ、それも日本各地で独自の陶器が作られ発達していきます。
志野、織部、黄瀬戸、伊賀、信楽、備前・・・・桃山時代の陶器は茶道という日本文化が生んだだけに日本的な特質を備えています。
この時代の力強く、侘寂を踏まえた焼き物は日本の名器を多く生み、後世に大きな影響を与えていますね。

そして江戸時代。徳川の権力も安泰し、この時代あらゆる文化が繁栄しました。
この時代になると陶工達は技術も習得し青磁、白磁、染め付け、赤絵も作れるようになっています。
柿右衛門、鍋島、九谷など日本独自の美しい色絵磁器も生まれ、 日本の焼き物は多彩的になり技術的に確立した時期といえるでしょう。
現在、ヨーロッパではドイツのマイセンが有名ですが、この時代の有田を中心に日本から輸入して、洋食器として取り入れて発達したものなのをご存知でしたか?
また元禄期の焼き物は桃山期とは趣を変え、華麗で豪華絢爛たる器が作られています。
備前でも備前藩主・池田光政公は備前焼を保護奨励し細工御用人を取り立てています。
この細工御用人を中心に細工物といわれる布袋、獅子等の置物や香炉なども多く作られる様になっています。
擂り鉢、水瓶、徳利、種壷等もこの頃に多量に生産される様になりました。
また大形の細工の狛犬が作られて岡山を中心とした日本各地に奉納されてますが、しかし藩の保護奨励と強い指導が、かえって作品は規格化されたものとなってしまい、やがては技法までも指導が入り、備前焼は苦悩の道を辿ることになるのです。

その後続いた苦難の時代をのり越えて、桃山茶陶の再現を目指した「中興の祖」金重陶陽(昭和31年に人間国宝に認定。明治29.1.3~昭和42.11.26)の努力によって、備前焼が再評価される様になり、今日の備前の繁栄を得たといわれているんです。



HOME | 陶器の歴史 | 産地別 | ブランド別 | インテリア雑貨 | 陶器の浴槽 | インテリアの方法 | サイトマップ